540プロジェクトの歴史
不意の事故、横断歩道を自転車で渡っていたその時起きた出来事のために、リングの上でスポットライトを浴びるのをリタイアする事になってから、十年数年の月日が流れております。
あの時にこうしていれば、あっちを選んでいればなどの思いは今も消える事無く私の心の奥底にあります。
しかしながら私も現在31歳、天然でありますが時折博学になる妻と、自分の事を向かう所敵無しと思ってくれているであろう最愛の息子、さらには夫に先立たれ日々老いて行く義母がいるそんな平穏でまったりした田舎で、昔の夢は思い出としてしまっておりました。
2006年7月、昔の後輩が(と言っても年は一つ上ですが)PRIDEのリングに上がる事をネットで知りました。
一緒に格闘技通信や前田日明新格闘技伝説などに掲載された事のあるそんな後輩がです。
スクワットを500回、腕立てを300回ウェイトトレーニングを1時間半、2時間~3時間の打撃や関節の練習、総合の練習などをし(当時は総合格闘技という言葉はありませんでした)、カラオケBOXでどうやったらマウントを取れるかを歌うのを忘れて話していた人が・・・・(当時マウントポジションって言葉もありませんでしたが・・・)
私はルチャへ向かったので、その後は連絡を取り合ったりもしませんでしが、「心血を注いで学んだ技術は決して間違っていなかった」そう思えた瞬間に、何とも言い難い虚無感と言えばいいのでしょうか?悔しさでしょうか?情けなさ?寂しさでしょうか?そんな伝え難い感情を、ほんの少しばかり感じました。
「私に欠けていた物はなんなのだろう?」
「同じ師を仰ぎ、同じ時間練習し、同じ技術を学んだのに・・・」
才能?持って生まれた身体能力?努力?根性?運?その全て?
数日間考えましたが結局は諦めた自分、挫折した自分が全てでそれ以上でもそれ以下でも無い事に気が付きました。
同時に、何だか変に晴れ晴れとした気持ちになり、純粋な気持ちで年末にPRIDEで闘っている後輩を影ながら応援する事が出来るようになりました。
そして、今度はゆっくりと趣味として、今一度体を鍛えてみようかと思いはじめた瞬間でもありました。
もう若くも無く、守るべき家族があり昔の様な生活に戻れるわけも無い、ただ私にも何か出来る事は無いだろうか?
そうした思いが心に深く根づいた、今から考えれば、有難い時の恵みの足跡だったのです。
まさしく、彼は彼、私は私でした。トレーニングを再開したその当時、私は、食品会社に勤務しており、原材料の仕入れを担当し、またその管理担当者でした。そして、この勤務がまた一つの縁でもありました。
むろん、私もペプチドとかプロテインの事は知っておりましたが、それに関してウェイトを再開するまで、何の感情も抱いておりませんでした。ただハムやソーセージの食感を改良する物、とろみや気泡を付けるには卵白より安価で代用品として優れている物、そんな感情しか抱いておりませんでしたが、ウェイトを始めてみるとプロテインは必須だと認識するにいたりました。
それから、私なりのプロテインに関する勉強が始まりました。さらに、優れた品質の物を安く提供できないかと、模索の日々へとつながっていきました。通い始めた市営のジムで仲良くなった人達に、そんなプロテインの事を話すと、みんな喜んで購入したいと言ってくれました。これが、いはば第二の出発点でした。
また、単なる社員に過ぎなかったこちらのいろんな希望も快く承諾してもらったく社長さんには改めて感謝いたしました。皆が喜んでくれる姿や、容器を持って来て、買ってくれる時の笑顔(当時は保存容器は自分で持ってくる通称「豆腐屋システム」でした)を見ておりますと、これは世間に出してもいいのでは無いのだろうか?そう思えてまいりました。
そして、ここに、今日への共同購買を基礎とした試みの始まりがあります。
長くなりましたが、このプロジェクトは個人規模の物であり(いろんな協力をいただいておりますが)、また低価格維持を考慮した結果であることを申し添えさせていただきます。



